「名前」について思う事

プライベートで初対面の人に自己紹介するとき、会社名よりも肩書きよりも、まず言うのはほとんどが「名前」だ。

それは本名かもしれないし、あだ名かもしれないし、ネットだけの名前かもしれない。

どんな形でも、この世のしがらみを全て取っ払って「自分」という存在を表してくれているものだと思う。

 

自ら名のることでなじんでいく

“さどまち”というあだ名は東京にきてから呼んでもらうようになった名前だ。

元々は大学生の時に片思いしてた人が呼んでくれたことがきっかけでうまれた。

本名の”まちこ”呼びが浸透していたから、大学ではその人以外に呼ばれることはそれ以降なかったけど、あだ名がなかった私はそれが愛おしくて、引出しの奥にそっとしまっておいた。

私以外見つけられない場所に置かれたその名前を、もっと大切にしたくて、東京にくる時に自ら名のろうと決めていた。

最初は違和感があったその呼び方も、まるで使い込まれることでなじむレザー素材のように、周りに呼ばれるたびにしっくりくるようになった。

 

名前を呼ばれる瞬間が1番しあわせ

私は今、名前を呼ばれる時が1番幸せだ。

ゴロのよさなのか、関係ないところでも呼んでる人や、名前をいじってくる人もいるけど、私を私だと認識して名前を呼んでくれる。

これほど幸せなことってない。

直接でもSNSでも、変な話「私はこの人の中に存在しているんだな」と感じる。

この感覚は昔からずっとあったものだけど、東京に出て改めて気づけたのでここに残しておこう。

(ちなみに私は人として好きになると、よく苗字を呼び捨てで呼んでしまうのだけど、この感覚わかる人いないかな。)

 

 

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さどまち

さどまち

1994年生まれ山口出身、台湾のハーフ
日常や感情を切り取るエッセイスト/写真家
エッセイメディア「MIMIUCHI」を運営。
会社員をやりながら撮影したりエッセイを執筆。

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さどまち

1994年生まれ山口出身、台湾のハーフ
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