実家の犬が死んだ。私には会いにきてくれないらしい

どうも、さどまち(@mck_sd)です。

前回の記事、自分は誰からも好かれない、友達ができない人間だと思っていた。が、色んな方から反応をいただけて嬉しかったです、ありがとうございます。

ただ、記事を公開してから、しばらくは魂が抜けたような状態になってました。

というのも、過去のこと(特に辛い時期)のことを、思い出しながら思考を文章化するのって結構精神的にくるんだな、と。もっとサラサラ書けるように精進したいものです。

今回は、過去の扉をこじ開けてしまったがために、芋づる式に出てきた「過去の後悔」について書きたいと思います。多分、めちゃくちゃ長くなります。

新卒1年目、13年一緒だった実家の犬が死んだ

『ラッキーが死んだ』

新卒1年目。大阪の会社で働いていた私は、自分らしく働けない、誰にも必要とされない気持ちを発散するように、テーマパークのキャストや小劇団にハマっていた。

あるキャストさんの生誕祭イベントに行った時に、LINEで姉から実家の犬が死んだことを知らされた。

みんなが笑顔で「おめでとう!」と言っている中、トイレに駆け込んで泣きながら姉に電話をした。姉も泣いていた。

小学2年生の頃から、13年一緒にいた弟みたいなやつが、まさか、地元を出て数ヶ月で会えない存在になるなんて。

小さい頃から「死」の匂いがあるところは意識的に避けて通っていたと思う。祖父が亡くなる前の病院や、仲が良かった隣のおばさんが入院した時も、ひい孫の中で私を1番可愛がってくれた曽祖母が死んだ時も。

今まで何度か死の近くを通ったことはあるけど、なるべく真ん中を通らないようにしていた。だから明確に死の輪郭に触れたのは、この時が初めてだったと思う。

とてもじゃないけど「おめでとう」なんて人に言える状態じゃなくて、逃げるように家に帰った。すぐに会社に休みの連絡を入れて、次の日の新幹線の予約をした。

窓に映る景色が灰色の建物から緑へと変化して、1時間に1本しかこない電車に乗ると、徐々にラッキーと過ごした日々を思い出して涙が止まらなかった。

相変わらず誰も乗っていない地元の電車に、多分人生で初めて感謝してひたすら泣いた。

形に残るもの、残らないもの

急いで実家の玄関を開けると、生活感のない大阪の家とは違い、懐かしい生活の匂いがした。リビングを通ると見慣れない大きなダンボールの中に、いくつもの保冷剤と一緒にラッキーが横たわっていた。

茶色いぶち模様がある頭を撫でると、冷たくて硬かった。

最後の最後、死に目に会えなかったことが悔しくてたまらなかった。

ずっと外飼いだったうちの子は、体が悪くなってからは夜だけは玄関に入れていた。昔から台風や雪で寒さが厳しい時だけ中に入れていたが、その度に嬉しそうにしていたから、きっと子犬の頃から家の中に入りたかったんだろう。

でも、いつも玄関より先のリビングには入ってこない子だった。そこから先は自分の陣地じゃないと理解していたようだった。

亡くなったその日は、突然リビングで団らんしている母と姉のところにまでゆっくりと歩いてきて、2人のそばで倒れたらしい。

「最後だって自分で分かったんだと思う」と姉は言っていた。本当に最後まで健気なやつ。

自分の中ではまだお別れなんてできていないのに、このまま置いておくと腐ってしまうから、と実家に帰ってからすぐに火葬をすることに。

火葬場に行くと「首輪はどうされますか?」と聞かれた。

「首輪を一緒に焼けばそれが印となって、天国でも見つけやすいですよ」とかなんとか言われたけど、そんなことどうでもよかった。

全て焼いてしまったらラッキーがいた証拠がなくなってしまうのでは、と怖くて首輪は私が外した。

火葬中に事務所にいくと2万もする骨を入れる器について案内された。「あーなんてぼったくり」と思ったけど、最後くらいって思うのが人間なんだろうな。母になんとか頼み込んでその高い器を選んだ。

しばらくして火葬場に行くと、そこにあったはずの茶色い体がなくなっていて、姉と泣きながら骨を拾ってあの値段の高い器に入れていく。母は「私はいいから…」と遠くで見ていた。私が小さい頃から意識的に死を避けていたのは、母の遺伝だと思う。

いじわるをした私には会いにきてくれない

ペットロスで検索すると、決まって『虹の橋』の文章が出てくる。だけどひねくれ者の私には全く響かなかった。

天国とかどうでもいいから、今すぐ会いにきてよ。

そう思っていた。天国は信じているけど、私が死んでからの話なんて全然共感できなかった。

ラッキーは子犬の時に川に落ちたらしく、それ以来水が嫌いだった。なのにびっくりする姿が可愛くて、小さい頃はふざけて水をかけたりした。

わざとケンカをふっかけて、取っ組み合いみたいなことだってした。

本当に兄弟みたいだった。

大人になるにつれ、そこにいるのが当たり前の存在になっていて、散歩は正直めんどうだったけど、決まって夕飯前の散歩は私が行っていた。

小さい頃の自分の愚かな行動に、ラッキーが死んでから気づく。もっと大事にすればよかった、もっと遠くまで散歩に行ってあげればよかった。最後だって、すぐに山口まで飛んでこれたなら。

もっと、もっと、と出てくるのは自分があの子のことを大事にできなかったことを正当化しようとしているんだと自分でも分かっている。

いなくなってからしばらくは、夢に出てくるかもしれない。部屋に幽霊として出てくれるかもしれない、と思っていたけど、一向に現れる気配はなかった。

やっぱりいじわるばかりした私には、会いにきてくれないらしい。

みんな私よりも先には死なないでほしい

初めてしっかりと対面した「死」は思いのほか、ガツンときていた。ラッキーが死んでから3ヶ月くらい、「死」について考えては落ち込むというのを繰り返していた。

思い出したのは、家出ばかりしていた中学生のとき(家出といっても、ビビリだからコンビニで時間を潰して0時には帰宅してたけど)、

何が辛かったか今はもう思い出せないけど、とにかく辛くて「死にたい」とよく言っていた。死がなんなのか理解なんてしていなくて、ただ現状から抜け出せる言葉なのだと感じていた。

いつからか言わなくなったその言葉を、仕事が辛い時に母に向かって言ってしまい、ハッとしたことがある。

中学生の頃よりもしっかりと「死」を意識して放った言葉だったし、その言葉の重みに大人になった私はもう気づいていたからだ。

私には家族が2人いる、母と姉。

父も入れていいかもしれないが、母と離婚してからはあまり会っていない。昔は好きだったけど、父としても人としても尊敬はしていない。

ただ、どんなにムカついたことがあっても、血の繋がりがある家族の死を想像すると、怖くてたまらなくなる。

最近は好きな人が沢山できて、家族でなくても出会った人がいなくなるのは怖い。自分の死よりも、人の死の方が怖いかもしれない。

だから、どうかみんな私が死んでから死んで欲しい。なんて思うけど年齢的にはそうもいかないんだろう。

一生、後悔して生きていく

「絶対に忘れない」と思っていたラッキーのことを、今回書いて見たのは、文章にすることで頭の中からなくすためではなく、より強く心に残しておくためだ。

ケンカしても最後はペロペロと私の腕を舐めてくれたこと。

登山で先に登ったくせに、心配そうに私のところまで戻ってきて登るのを待っていてくれたこと。

まだ誰も歩いてない雪道を楽しそうに歩いて、小さな足あとがついていくところ。

多分、少しずつに君との思い出は私の記憶から消えていくんだろう。

だけど、一生死に目に会えなかったことは後悔して生きていく。

それがいいとか、悪いとかではなく。後悔しない人生を生きていくにはきっと必要なことなんだろう。

 

『この家にきてラッキー!と思えるようにラッキーにしよう。』

それが君の名前の由来だけど、君は死ぬときに「この家にきてラッキーだった」と思っただろうか。

 

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さどまち

さどまち

1994年生まれ山口出身、台湾のハーフ
日常や感情を切り取るエッセイスト/写真家
エッセイメディア「MIMIUCHI」を運営。
会社員をやりながら撮影したりエッセイを執筆。

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