呪いをかけない大人になりたい

「私なんて」という言葉がふと思い浮かぶ時、決まって負のループに入りやすい。

しかし、なぜ「私なんて」という思考に陥るのか考えると、小さい頃かうけていた呪いが体の隅々まで染みついているからなのだと気づいた。

呪いをうけ続けるしかなかったあの頃

「呪い」というと絵本やファンタジー小説で悪い魔女が主人公にかけるものだが、現実世界でも意外とその呪いは頻繁に起こっている。魔女でなくても使えるその呪いとは、「言葉の呪い」。

私の場合、母から常にその呪いをうけていたなあと今更ながら気づいたのだ。

「あなたは性格悪いから直さないと恋人できないよ」

「だからあなたは友達が少ないのよ」

「あなたは幸せになれない、私には分かる」

日常的に言われていたというよりは、喧嘩すると最後に決まってそういった類の言葉を吐かれていたのだ。

母も本気で言っていたわけではなく、台湾人の彼女が頭に血が上った状態で選んだ最大限の侮辱的な日本語なのだろう。

鋭利な刃物でギギギッと、心臓を引っ掻かれる感覚。その上にできるかさぶたに誤魔化されながらここまで生きてきた。

根深い言葉の呪いを消し去るには

“足りているという自信”

「毎日楽しそうなのに何が足らないの?」と質問をされた時にとっさに出てきた言葉だった。

本当は自分のことが好きだし、自分なら何でもできるって気持ちが根本にはあるのに 、小さい頃にかけられた言葉の呪いは意外と根深い。

「何でみんな私によくしてくれるんだろう」「性格の悪い私がこんな幸せでいいのかな?」「私なんかにできるだろうか」といつも疑心暗鬼になってしまうのだ。

長年かけられ続けたこの呪いを消し去るには、もう少し時間はかかるだろう。だけど、人との出会いが着実にこの呪いを薄めてくれているのを感じている。

あと少し。あともう少しでこの呪いはとけるという予感がしている。

自分が誰かを呪うことはないように

喧嘩した母に呪いをかけられた私は、きっと同じように母に何かしら呪いをかけかえしていたと思う。

「呪いをかけられたからこちらもかけてやろう」なんて、とても子供っぽい考え方だと思うし、それはバッドエンドしか見えない物語だ。

言葉の呪いの存在に気づいてから、私も誰かに呪いをかけていないか意識するようになった。

その人の生き方を縛ってしまうような、決めつけや固定概念を押し付けてないだろうか。相手が傷ついてしまうような言葉を吐いてないだろうか。

誰でも使えてしまう言葉だからこそ、ささやかでもその人が素敵な未来に向けるようなものをかけていきたい。

私に関わる人たちには、呪いではなく祝福を。

 

The following two tabs change content below.
さどまち

さどまち

1994年生まれ山口出身、台湾のハーフ
日常や感情を切り取るエッセイスト/写真家
エッセイメディア「MIMIUCHI」を運営。
会社員をやりながら撮影したりエッセイを執筆。

ABOUTこの記事をかいた人

さどまち

1994年生まれ山口出身、台湾のハーフ
日常や感情を切り取るエッセイスト/写真家
エッセイメディア「MIMIUCHI」を運営。
会社員をやりながら撮影したりエッセイを執筆。