どうも、さどまち(@mck_sd)です。
なんでそんなにコミュニティに入ってるの?
と言われることがよくあるのですが、所属という括りでいうと、実は朝活コミュニティの「朝渋」にしか入っていなかったりします。
ただ、3人以上の場という意味では、確かに多くの場所に顔をだしてるかもしれません。
今回は、なぜ私が色々なコミュニティに行ってしまうのかを改めて考えてみました。
1つの常識や価値観に染まりたくない

理由の1つとしては、常識や価値観に染まらない自分でありたいから。
コミュニティに所属していると、その場所によって前提常識みたいなものがあると思います。
例えば「言葉」がその1つ。
カタカナばかりの言葉を使う所もあるし、つたない言葉でも、感覚的なものを一生懸命言語化しようとする所もある。
いつも使っている言葉を、別の場所で「このくらい分かるだろう」と使うことで、お互いの会話にギャップが生じてしまわないようにしたいと思っています。
つまりは、それぞれの「当たり前」が違うことを常に自覚して、相手の常識を尊重できる状態でいたいのです。
そういう人間でありたいと思ってしまうのは、私の生い立ちにも関係していると思います。
私は、母が台湾人だったおかげで、日本で生まれ育った子たちよりも、少しだけ早く日本とは別の常識、文化がこの世にはあることを認識していました。
今まで、自国の文化や技術を誇示し、別の国の文化を下げる人間にはごまんと出会ってきたし、そういう人たちと話をするたびに、「私はこういう人間にはならないぞ」と子供ながらに思っていました。
同じ場所に居続けると、そこの常識がいつのまにか世界の「当たり前」だと勘違いしてしまう。
まさに、井の中の蛙状態。
それがいずれ驕りや慢心に繋がって、それ以上の成長がなくなるのが怖いんです。
だから私は、定期的に「ここの常識に囚われそうになってない?」と確認するようにしていて、そこで窮屈や違和感を感じたら、すぐに別の場所に向かうようにしています。
場所を行き来することで使える言葉が増えていく

もう1つの理由としては、別の角度からの言葉や意見を知ることができるから。
例えば、朝渋の話をすると「朝活」というワードからどうしても「意識高い系」や「早起きの押し付け」と感じる人がいます。
それは、コミュニティの中側にいると出会わないリアクションや考え方なので、とても新鮮。
常に新鮮でいられることが、私の人生では必要不可欠だという個人的な価値観もありますが、
外側からどう見えるかを把握しておくことで、「私はなぜここにいるのか」を再確認していたりします。
また、俯瞰的でいると、その場所の魅力を伝えたい時に、相手によってどんな言葉を選べばいいのか分かったり、
そもそもこの人には言う必要がないな、という判断が素早くできるようになってきます。
そうやって、同じ意味でも違う角度の言葉たちや判断力が自分の中に蓄積して楽しかったりするのです。
おわりに
この記事を書きながらもう1つ気づいたこと。
それは、人は一人で生きていくと吸収できる知識ってたかがしれているなあということ。
だから、別のコミュニティにいる人たちが人生を通して感じていることや、なぜそこを選んでいるのかが知りたくてたまらないのかもしれません。
この2つの他にもまだまだ理由はあるのですが、それはまた別の記事で書こうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた!さどまちでした🎡

さどまち
日常や感情を切り取るエッセイスト/写真家
エッセイメディア「MIMIUCHI」を運営。
会社員をやりながら撮影したりエッセイを執筆。

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